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Las comedias de Lope de Vega

17世紀スペインの劇作家ロペ・デ・ベガの未邦訳作品を翻訳しています。Traducciones (relativamente libres) de unas comedias de Lope ineditas en japonés. はじめての方はカテゴリー「このブログについて」からご覧ください。無断転載はお断りいたします。

慈悲ぶかきバレンシア

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ソローリャ《精神疾患の男を救うホフレ》

バレンシア市庁舎 1887年

 Father Jofré Protecting a Madman - Joaquin Sorolla y Bastida - The Athenaeum

 

騎士 レオナート、私はさっきまで、
 マントで顔を隠しながら、
 この名高いバレンシアの市内をしばらく散策していたんだが、
 最も興味をひかれるのは、この精神病院だ。
 病院と名のつく施設の中でも、
 これはとくにすばらしい。
 サラゴサの病院も、これには及ばない。
 この病院は、みずからを誇ってよいだろう。
 この世の慈悲によって生み出された
 七不思議のひとつであることをな。 (第三幕)

 バレンシアのらんちき騒ぎ(11/12) - Buenaguarda: las comedias de Lope de Vega

 

 『バレンシアのらんちき騒ぎ』の舞台となるのは精神病院です。ロペがバレンシアに滞在していたころは、いくつかの病院を統合した総合病院になっていたようですが、医学的な治療が行われた精神病院の歴史は古く、1409年にメルセス会修道士ホフレ(Joan Gilabert Jofré)によって建てられた「幼子殉教者病院」がその始まりでした。当時のヨーロッパでは、精神疾患にかかった者は悪魔に憑かれた者として忌み嫌われており、ホフレが設立した病院は、ヨーロッパで初めて作られた精神疾患者のための病院とみなされています。

 

 ホフレの所属していたメルセス会は本来、アフリカでイスラム教徒の捕虜となっていたキリスト教徒たちを請け戻したり、時には修道士たちが身代わりとなって救うことを目的として創設された修道会でした。ホフレもその活動に従事していましたが、その過程で、イスラム世界では精神疾患者が医学的に治療されるべき者として扱われていることを知ったのだと思われます。

 バレンシアへ戻ってきたホフレは、精神疾患にかかった人たちが迫害されている様子を見て心を痛め、教皇アラゴン国王の認可を得て、この街に精神病院を設立しました。

 バレンシア富裕層による寄付で、ほかにもいくつかの病院が建てられ、1512年にはカトリック王フェルナンド2世の命によってこれらがひとつの病院に統合されました。ちなみにフェルナンド2世の娘フアナはカスティーリャ女王となったものの、精神を病んで狂女王フアナ(Juana la Loca)とも呼ばれました。フェルナンドにとって精神疾患は身近な問題でもあったわけです。

 

 現在もバレンシアに残るロス・ポブレス・イノセンテス病院(Hospital de los Pobres Inocentes)は、設立後何度も改築されていますが、一部にルネサンス建築様式が残っており、国の歴史的建造物として認定されているそうです。『バレンシアのらんちき騒ぎ』では、旅行者が必ず訪れる有名な場所として言及されていますから、当時の観光名所でもあったようです。

 劇の中には、患者を拘束したり、見世物にしたりするなど、現在では非難されるような行動も見られますが、当時としては、人々の寄付によって彼らを治療し、救済しようという考え自体が非常に珍しいものだったのでしょう。「バレンシアの人たちは慈悲深い」という台詞に、そのような賞賛をみることができます。

 

 狂気、あるいは偽りの狂気というものは、文学でしばしば主題としてとりあげられました。シェークスピアの『リア王』や『ハムレット』、アリオストの『狂えるオルランド』、セルバンテスの『ドン・キホーテ』『ガラスの学士』などです。

 ロペが描く狂気とは、常に男女の恋愛によってもたらされるものです。この点、セルバンテスとはあきらかに異なります。セルバンテスの描く狂気が、現実と理想のギャップに苦しむ人間の哲学的な苦悩を秘めているとすれば、ロペの描く狂気は、矛盾をはらんだ激しいエネルギーである愛によってもたらされる嵐のようなものです。いずれにせよ、狂気に囚われた人物たちは、常に忌み嫌われるのではなく、ときに驚嘆の対象、ときに賞賛の的となり、周囲の人々にあたたかく見守られたり、救いの手を差しのべられたりします。『バレンシアのらんちき騒ぎ』においては、恋をする者たちがすべて、精神疾患のあるなしにかかわらず、愛すべき愚か者として描かれているといえるでしょう。