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Las comedias de Lope de Vega

17世紀スペインの劇作家ロペ・デ・ベガの未邦訳作品を翻訳しています。Traducciones (relativamente libres) de unas comedias de Lope ineditas en japonés. はじめての方はカテゴリー「このブログについて」からご覧ください。無断転載はお断りいたします。

ロペの年譜(1601-1635)

Foto

『マルタとロペの間に』

 

テアトロ・エスパニョールによる上演、2013年

El fulgor de los amores asimétricos | Madrid | EL PAÍS

*晩年のロペとマルタ・デ・ネバーレスとの恋を描いた劇。

 

 ロペの後半生の年譜です。

前半の年譜はこちらです↓

 

lopedevega.hatenablog.com

 

 二度目の妻フアナは、ほとんどロペの詩にうたわれていないようです。イサベル同様、出産で亡くなっています。フアナとの間に生まれた息子カルロス・フェリックスも幼くして死んでおり、ロペは彼の死を悼む詩を残しています。

 

 愛人関係にあったミカエラは、女優として高く評価されていました。彼女の夫は仕事でペルーへ渡り、スペインへ帰ることなく亡くなっています。ロペはミカエラとの恋を詩にうたっていますが、彼女と結婚することはなく、別の女優ヘロニマ・デ・ブルゴスとも関係を持っていました。

 ロペと彼女の間に生まれた娘のマルセーラは修道女になりましたが、彼女もまた宗教詩や宗教劇を残しているそうです。ロペの子どもとしては、唯一その才能を引き継いだ人物とみなされています。

 ミカエラとの間にはロペ・フェリックスという息子も生まれていますが、海難事故で亡くなりました。ロペにとって唯一成人した息子だったので、彼の死は老いたロペに最後の打撃を与えたようです。

 

 ロペの最後の恋の相手マルタ・デ・ネバーレスは教養ある女性でしたが、わずか13歳で結婚させられ、芸術に無理解な夫に不満を持っていました。ロペと出会ったときは26歳でした。ロペは彼女に夢中になります。夫の不慮の死によってマルタはロペと結ばれましたが、その後目を病み、精神も病んで42歳で亡くなっています。

 

 ロペの子どもたちの中で彼の死後も生きていたのは、フアナとの娘フェリシアーナ、ミカエラとの娘マルセーラ、そしてマルタとの娘アントニア・クララでした。

 

 

1602(40歳) 妻フアナ・デ・グアルドと共にトレドに住む。

        ミカエラが住むセビーリャに赴く。

       『アンジェリカの美貌』(『抒情詩集』を含む)を出版。

1603(41歳) ペルーに赴いていたミカエラの夫が死去。

1604(42歳) 再びセビーリャへ赴く。

        ミカエラと子どもたちをトレドに住まわせる(1610年まで)。

       『故国巡礼』『抒情詩集 第二部』を出版。

       戯曲集第1巻出版。

1605(43歳) 第6代セッサ公爵の秘書となる。

       5月8日、ミカエラとの間に娘マルセーラ生まれる。

1606(44歳) 妻フアナ・デ・グアルドとの間に息子カルロス・フェリックス誕生。

1607(45歳) ミカエラとその子どもたちとともにマドリードに住む。

       1月28日、ミカエラとの間に息子ロペ・フェリックス誕生。

       女優ヘロニマ・デ・ブルゴスとの恋。

1608(46歳) この頃、ミカエラと別れたとみられる。

1609(47歳) 『抒情詩集』(『当世コメディア新作法』を含む)を出版。

       『征服されたエルサレム』を出版。

       戯曲集第2巻出版。

1610(48歳) オラトリオ会(信者の共同体)に入会。

       宗教劇『美しきエステル』を執筆。

       妻フアナやその子どもたちと共にマドリードに移住。

1611(49歳) 王室年代記編者の職に就こうと試みるが失敗。

       いくつかの聖体神秘劇を書く。

       9月26日、フランシスコ会第三会(在俗会)に入会。

       サルダーニャ伯爵の文学アカデミアに参加。

1612(50歳) 『ベツレヘムの羊飼いたち』『4つのモノローグ』を出版。

       フアナとの息子カルロス・フェリックス死去。

       文学アカデミア「エル・パルナーソ」に参加する。

       王妃マルガリータの喪に服すため劇場が閉鎖される。

1613(51歳) 8月13日、妻フアナ、娘フェリシアーナ出産の際に死去。

       10月、宮廷の式典の仕事でレルマへ赴く。

       (女優ヘロニマ・デ・ブルゴスを伴っていた。)

       戯曲集第3巻出版。

       『ばかなお嬢様』を執筆。

1614(52歳) 司祭になる準備期間、トレドにあるヘロニマの家に滞在。

       5月24日、司祭に叙任。

       『聖なる詩』を出版。

       戯曲集第4巻出版。

1615(53歳) 6月、かつての恋人の誹謗から逃れるためトレドに赴く。

       アビラでの司祭職を願い出る。

       戯曲集第5巻、第6巻出版。

1616(54歳) 7月、バレンシアへ赴く。

       (女優ルシア・デ・サルセドを追ったとみられる。)

       マルタ・デ・ネバーレスとの恋。

1617(55歳) マルタとの間に娘アントニア・クララが生まれる。

       戯曲集第7巻、第8巻、第9巻出版。

1618(56歳) 『日本の諸王国における信仰の勝利』を出版。

       戯曲集第10巻、第11巻出版。

       ロペを誹謗する風刺詩が書かれる。

1619(57歳) マルタ、夫との結婚の無効を求める訴訟の手続きを開始。

       戯曲集第12巻出版。

1620(58歳) マルタの夫が死去。

       再び王室年代記編者の職を求めて失敗。

       戯曲集第13巻、第14巻出版。

1621(59歳) 戯曲集第15巻、第16巻、第17巻出版。

       『フィロメーナ』出版。

1622(60歳) 娘マルセーラがトリニダード修道会に誓願を立てる。

       聖イシドルスの列聖を記念して詩のコンクールを企画。

1623(61歳) マルタが目を病む。

       戯曲集第18巻、第19巻出版。

1624(62歳) 『キルケー』を出版。

1625(63歳) 戯曲集第20巻出版。

1626(64歳) 『神に向けられた、ある魂の独白』を出版。

1627(65歳) ローマ教皇に捧げる『悲劇の王冠』を出版。

       ロペ原作によるスペイン初のオペラ『愛のない森』が上演。

1629(67歳) 三たび、王室年代記編者の職を求めるが失敗。

1630(68歳) 『アポロの月桂冠』を出版。

1631(69歳) 国王の前で彼のコメディア『サン・フアンの夜』が上演される。

       『復讐なき罰』を執筆。

1632(70歳) マルタ・デ・ネバーレス死去。

       『ラ・ドロテーア』出版。

1633(71歳) 『牧歌アマリリス』を出版。

       戯曲集第24巻出版。

1634(72歳) マルタとの娘アントニア・クララが恋人と出奔。

       息子ロペ・フェリックスがマルガリータ島で事故死。

       『トメ・デ・ブルギーリョスの抒情詩集』を出版。

       『高潔なるベリーサ』を執筆。

1635(73歳) 8月25日、外出先で失神、病床につく。

       8月27日、死去。

       8月28日、セッサ公爵の出資により葬礼が行われる。

       多くのマドリード市民がロペの死を悼む。

      『牧歌フィリス』出版。

       戯曲集第21巻、第22巻出版。

 

*その他、『ラ・ベガ・デル・パルナーソ』、戯曲集第23巻、第24巻、第25巻などが死後出版される。