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Las comedias de Lope de Vega

17世紀スペインの劇作家ロペ・デ・ベガの未邦訳作品を翻訳しています。Traducciones (relativamente libres) de unas comedias de Lope ineditas en japonés. はじめての方はカテゴリー「このブログについて」からご覧ください。無断転載はお断りいたします。

守護天使(9/12)

 (二人は退場。

  フェリックスとカリーソが入ってくる。)

 

フェリックス それで、クララは眠っているのか?
カリーソ 服を着たまま、ベッドの上に横になっていらっしゃいます。
 (フェリックスを見て、心配そうに)
 どうして、溜息なんかついてるんですか?
 何があったんです?
 返事をしてくださいよ。
 口がきけなくなっちゃったんですか?
 ちゃんと話してください。
フェリックス (重い口調で)ぼくにも、
 自分がどうなってしまったのかわからないんだ、カリーソ
 頼む、何もきかないでくれ。
 ぼくが悲しんでいる理由は、
 だれにも知られたくない。
カリーソ せめて、私には打ち明けてくださいよ。
フェリックス (顔をそむけて)それなら、本当のことを言おう。
 クララはぼくをばかにしているんだよ、カリーソ
 彼女はぼくをいらいらさせるんだ。うんざりしたのさ。
カリーソ クララ様は、すばらしい女性じゃありませんか!
フェリックス (悩んでから、意を決したように)
 こうやって人間らしい生活をすることが、
 クララにとって本当にいいときみは思うか?
 ぼくの狂おしいほどの愛のせいで、
 彼女はぼくの災いに巻き込まれたんだ。
 クララはもう、そのことに気づき始めている。
 彼女の魂が、そう告げているんだから。
カリーソ どういうことです?
フェリックス わかった。説明するよ。
カリーソ 世間では、こういうことは珍しくありませんよ。
 表ざたになっていないだけで…
フェリックス 聞いてくれ。そういう理由じゃないんだ。
 ある夜、クララが服を脱いだとき、
 彼女の胸に小さなスカプラリオ〔*略肩衣。聖画などを描いた二枚の布を紐でつなぎあわせ、肩にかけて着用する。〕があった。
 ぼくが、なぜそれを身につけていたのかと尋ねると、
 彼女はこう答えたんだ。
 「当然でしょう?フェリックス、
 最初の夫が、私にこれをくれたからよ。
 彼の愛は決して終わることがなく、
 私はこうして、彼がくれた服を大切にしているの。
 あなたの服が肉体を包むものであるように、
 この服は魂を包むものなんだから。」
 その言葉を聞いて、ぼくは恐ろしくなった。
 その夜のぼくは、
 キリストがぼくの喉元に剣を突きつけ、
 ぼくの犯した不義に報復しているように感じて、
 ほとんど眠ることができなかった。
 次の朝、まだ気分がすぐれなかったので、
 ぼくは聖堂へ行ってみた。
 そして、回廊のアーチの上に架けられていた
 キリスト磔刑像の前で帽子を取ったとき、
 ぼくは見たんだ。
 キリスト像がぼくに背を向けているのを!
 その手のひらを貫いていた二本の釘は、
 十字架の上に、その頭だけが残っていた。
 下を見ると、ぼくの近くにあったその両足は、
 むこうに向けられていた。
 足を貫いていた釘も、十字架の上に頭だけが残っていた。
 キリストの髪は激しく乱れていて、
 それを見ていると、ぼくにもその苦悶が伝わってきた。
 頭髪の一本一本が、針のように固くこわばっているようだった。
 カリーソ、ぼくはぞっとして口もきけず、
 ミサを聴くこともできなかったよ。
カリーソ (がたがた震えて)なんてこった!
 神がお怒りになっているんだ!
 どうしましょう?
フェリックス (手紙を取り出して)
 ぼくはクララに宛てて、この手紙を書いた。
 短い文面だけど、
 これを書くために、どれほど苦しんだことか!
カリーソ それで、どこへ行くつもりですか?
フェリックス 残っている金をもって、イタリアへ行く。
 宿の主人を呼んでくれ、カリーソ。早く。
カリーソ 今、こっちへ来ますよ。落ちついてください。

 

 (宿の主人が登場。)

 

フェリックス (主人に手紙をわたして)
 ご主人、私はあの女性をさらってきました。
 今は彼女を私の妻と呼んでいます。
 しかし私は、神の裁きが恐ろしくなり、
 ここにいる共犯者とともに、
 彼女の元から去ることにしました。
 彼女に、私からの別れを伝え、
 この手紙をわたしてください。
 彼女と争うわけにはいかないのです。
 彼女をぶったり、ののしったりしたくありません。
宿の主人 (困惑して)お客様、
 こんなふうに出ていかれては困ります。
 私には荷が重すぎますよ。
 あなたからその女性に
 事情を説明してあげてください。
フェリックス 無理です。
 私には、これしかできません。
 ほかに道はないんです。
 (カリーソに)来てくれ、カリーソ
カリーソ どこへ?
フェリックス イタリアへだ。(宿を去っていく)
カリーソ (震えながらフェリックスの後を追う)
 世界を蹴散らしに行くなら、
 自分の命を守ってからだ。
 舌を出しながら綱渡り、
 そんなあぶない芸当は、
 軽業師たちにまかせよう。

 

 (フェリックスとカリーソは退場。)

 

宿の主人 (悲しそうに叫ぶ)ああ、お客様!お客様!

 

 (ドニャ・クララが登場。)

 

ドニャ・クララ どうしたの?だれが呼んでいるの?
宿の主人 私です。この宿の主人です。
ドニャ・クララ どうかなさったの?
宿の主人 (クララに手紙をわたして)
 昨日あなたをこの宿へ連れてきたあの紳士から、
 このお手紙を受け取りました。
 喜ばしいことはほとんど書かれていませんし、
 私は、なんのお力にもなれないときに
 人に泣かれたくないのです。
 ですから、どうかあなたおひとりでお泣きになってください。

 

 (宿の主人は退場。
  ドニャ・クララは手紙を開いて読む。)

 

ドニャ・クララ 「クララ、ぼくには、
 ぼくたちの追手が誰であるのかがわかった。
 きみの天の夫が、
 きみの家でぼくたちが犯した不義に対して、
 すでに報復しているのだということも。
 だからぼくは、きみをここに残して行くことにした。
 とてもつらいのだが…」
 これでおしまいだわ。文字が乱れている。
 (嘆く)人間の絆って、こんなものなの?
 誓いの言葉も、むなしいものね。
 あんまりだわ、こんなこと!
 自分を見失ったあげく、
 知らない土地にひとりぼっちで残されて、
 フェリックスもそばにいないなんて!

 

 (激しく泣いてから、我が身を恥じて)

 

 …何を言っているの、私ったら?
 フェリックスがいないことより、
 もっとみじめなことがあるじゃないの。
 私は、神を失ったのよ。
 神にそむいたのだから。
 そして私は、愛する天の夫を失ったのよ。
 そのかたとの約束を破ったのだから。
 悪しき行いで信用できることなんて、
 ほとんどありはしない。
 いつだってそれは、惨めな結果をもたらすだけ。
 彼は飽きてしまったんだわ。
 この世のものはみんな、いずれ飽きられてしまう。
 現世の悦びの、なんて愚かなこと!
 夜明けに美しく咲いている花々も、
 昼にはしおれ、
 夜になれば落ちてしまう!
 快楽とは、人間の想像が産んだ巨大な幻のようなもの。
 それは夢のように過ぎ去り、
 快楽を味わっていた者は、
 想像と現実との落差に気づく。
 私はそれに疑いを抱いていたはずなのに、
 恋にあざむかれてしまったのね。
 いやしい人間の男性を愛して、
 神への愛を捨ててしまうなんて!
 この世界のどこに、
 確かなものがあるというの?
 どうしよう?私はもう何も考えられない。
 天の夫の怒りが怖くてたまらない。
 あのかたをどこに探しに行けばいいのかわからない。
 あのかたは、悔悛した者の魂を拒むことは
 決してなさらないけれど、
 あんな卑劣な裏切りをした私が、
 どうして夫に顔を向けることができるというの?
 私は不信心者だった。
 私は、地上の夫をあてにして、
 天上の夫を辱めてしまった。
 地上の夫は、剣を腰にたずさえ、
 信頼を裏切るような人間なのに。


 神よ、
 あなたの聖なる傷をすべての者に向けてくださるのなら、
 私はあなたの元へ参ります。
 天の夫よ、あなたは尊いかたです。
 私があなたの元へ行くのを待っていてくださいますか?
(再び我が身を恥じて)
 …夫ですって?
 私ったら、なんてことを言うの?
 不義を犯した身でありながら!
 愚かな私の心よ、好きなだけ涙を流すがいいわ。
 そして、慈悲の女王である聖母マリアの庇護を願いなさい。
 それから…
 (首を振って)いいえ、
 おまえの罪をすべて悔い改めるまでは、
 何も言ってはいけないわ。
 おまえの罪は、あまりにも重いのだから。

 

第三幕

 

 (コル・デ・バラゲール〔*カタルーニャ地方の山岳路の名〕の山道。
  ひげを伸ばしたカリーソとフェリックスが登場。) 
 
カリーソ カスティーリャにいたときに何度も聞いたんですが、
 コル・デ・バラゲールってのは
 恐ろしいところだそうですよ。
 ここは海に面しているので、
 アルジェのモーロ人や海賊が出るばかりか、
 何隻ものフリゲート艦が
 入り江の間に隠れているらしいんです。
 地元の人間たちも気性が荒くて、
 山賊に会うこともしょっちゅうだとか。
フェリックス (隠者のような口調で)
 ある詩人が言っているが、
 金を持っていなければ、
 まわりが泥棒だらけでも、
 鼻歌を歌っていられるものさ。
 昨日から私たちは無一文なのだから、
 何を恐れることがある?
カリーソ モーロ人たちは怖くないんですか?
 彼らは、ビゼルトやトリポリで、
 死体を売る商売をしているそうですよ。
フェリックス モーロ人も山賊も、
 今の私にとっては、どうでもいいことだ。
 私を苦しめているのは、自分自身なのだから。
 おめおめとスペインに戻ってきた自分を
 責めさいなんでいるよ。
カリーソ (うらめしそうに)私もつらいですよ。
 だって私の魂は、
 あなたといっしょに地獄にいるんですからね。
フェリックス カリーソ
 私たちがイタリアへ逃亡してから
 数年が経った。
 そのあいだ私たちは
 神に奉仕しながら生きたが、
 それもむなしいことだった。
 安全な場所に逃れたところで、
 私たちは生きるに値しなかったのだから。
 私たちの犯した悪事は、
 死に値することだった。
 故郷へ戻ることは破滅を意味するが、
 シウダー・ロドリゴへ向かわずにはいられない。
 おそらく、私たちはそこで罰せられることだろう。
カリーソ 私たちの罪を知っている者は、だれもいませんよ。
 神様以外にはね。
 しかし、罪を犯した人間ってのは常に、
 何か得体のしれない力に動かされて、
 同じような罪びとの群れの中に飛び込んでしまうようです。
 今の私たちがまさにそうですよ。
 これも、神のなせるわざでしょうか。
フェリックス 神のお慈悲に我が身を委ねよう。
 もし、この長きにわたる苦しみと、嘆きと、悔悟をご覧になって
 神がお許しを与えてくださるならば、
 私の心も慰められるかもしれない。
 痛悔の苦行は、じゅうぶんとはいえなかったがね。
カリーソ ろくに食べることも、
 眠ることもしなかったのに?
 数年の間に、私たちの体は
 すっかりぼろぼろになってしまいましたよ。
フェリックス (祈る)神よ、異国の地で過ごした時間が
 私たちに勤行の機会を与えてくれました。
 どうか、これをお受けくださいますように!
 ささやかなものですし、
 私たちが勝手に行ったことではありますが。
カリーソ (十字を切る)神よ、私をお救いください!
 クララ様はどうなったでしょうね?
フェリックス わからない。
 彼女の記憶は私の心に
 少なからぬ苦悩を与えた。
 幾度となく私は、
 彼女のために戻ろうと考えた。
 たとえ、彼女に会うことが
 私に死をもたらすことになるとしてもだ。
 彼女を置いていくことは容易だった。
 彼女なしに生きることは、そう容易ではなかった。
 彼女を探しに戻りたいという思いで、この身は裂かれるようだった。
 ふつうに考えれば、彼女を置いてきたことは
 とても誠実な行為とはいえないだろう。
 私は恋によって彼女を欺き、
 卑劣にも彼女を捨てたのだから。
 けれど私は、私が侮辱してしまった
 彼女の天の夫への畏れから、
 彼女と私の魂にとって、良かれと思うことをしたのだ。
 そして、結局、私は逃げることによってそれを成し遂げた。
 あやまちを犯すのは人間の性(さが)だ。
 私の犯したあやまちは、まさにそうだ。
 けれど、悪に固執するのはもっと悪い。
 それは悪魔の性なのだ。
カリーソ ともかく、やっと戻ってきましたよ、スペインへ。
 こんなひげ面だし、
 服装も変わっていますから、
 だれにも正体はばれないでしょう。
 海を渡って、バルセロナへ行きましょう。
 みんな、私たちを見ても、
 外国人としか思わないはずです。
 マドリードだろうが、トレドだろうが、
 バリャドリードだろうが、どこでも同じですよ。

 

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